21年後の夏に
昨週末、葉山マリーナで開催されたSUMMER EXPRESS 2009を思いっきり楽しんだ。いまさらな話題だけれど、せっかくなので。
UNIVERSALレコード所属アーティストのお披露目野外ライヴみたいなものなんだけれど、ヨットをバックに海風に吹かれて、めちゃくちゃ気持ちよかった!!出演者にとっても気持ちよかっただろうなぁ。
圧巻だったのは、マドラスチェックのシャツを着た70才をとうに越えていると思われる元・湘南boysたちが、ベンチの上で踊りまくっていたこと。しゃっきりしてるし、抱きしめたくなるほどお洒落なんだよ。葉山だ!とつくづく感じる場面。あんな年の重ね方をしたいな。いくつになっても、輝いているものね。
先月末、25-6才の若人たちと飲む機会があった。
私からみたら、年齢の差をことさら意識することはないのだけれど、向こうからしてみたら、私がさぞ年上に感じられたのではないかと思う。私が彼らと同じ年だった頃、自分の両親と変わらない年齢の人って、ものすごく年上に感じたから。
25-6才。私の子供といってもおかしくない。
でも、「差」を感じないし、わざわざ意識もしない。
コドモ、大人、若くても、年を重ねていても、そんなことはまったく関係ない。結局は本人の「感じ方」「考え方」にかかっている。年齢なんか、固体識別の尺度のひとつでしかない。
もちろん、老齢の方に対して、長い人生を生きてきたことへの敬意は持っているし、人生いろいろな事があったのだろうとも推測する。だからこそ、敬う。
私が苦手だと思うのは、ビジネス・シーンでのことなんだ。年齢の差をことさら意識する場面が、意外と多くあるでしょ。年上というだけでえらそうにしちゃったり、若いからと卑屈になっちゃったり。そうしちゃうとさ、その時点でかっこ悪くなっちゃうんだよね。
年齢じゃないよね。その人に内包されている何かに、人は「重み」や「厚さ・篤さ」を感じとる。年が若くても、すごいなと尊敬することもあるし、年だけくったコドモみたいな人もいるし。
年齢は、人種や国籍と同じだね。
区分けされているように感じるけれど、ほんとはみんな一緒。なんの変わりもない。ただの符号なんだ。
だから、年を重ねることは怖くはない。むしろ、楽しいものだよ。年毎に経験値が増えて(増えない人もいるけれど)、加齢による体の変化でさえ、興味の対象になっていく。見栄えがいいとか悪いとか、五感で感じられる上っ面の部分は、たいしたことじゃないからね。
どうせなら素敵にかっこよく、年を重ねていきたい。
ここで一気に21年後の世界。
青空の下で、70才越えたクレイジーケンバンドのケンさんの歌声をバックに、60代後半の私がビール片手にリズムを取る。あ~、なんかわくわくするな(笑)
No comments yet. You should be kind and add one!
The comments are closed.