きっとこうする
今、目の前に、あの父と、あの母が出現したらどうするだろう?
・・・と、ふと、考えてみた。
何年間かの間に綴ったBLOGの中で、彼らの不良&奔放ぶりは幾度か触れてきたので、ご存知の方もいると思うけれど、知らない方のために、ちょっとだけ。
私の亡き両親は、それぞれが「自分を中心に世界は回っている」というタイプで、世間的な「親」という自覚はほとんど持ち合わせていなかった。一人娘であった私は、彼らが織りなす人生のハプニング、事件、もつれあう人間関係、喜怒哀楽の表現方法等々で、もまれまくった。おかげで、こんなに立派なムスメに育ったけど。
昔は、父のこと、母のこと、それぞれ次期は違うけれど、大っ嫌いだったことがある。今思えば、この「大っ嫌い」は「愛している」に限りなく近い感情なのだけれど、当時は本気で触れられることさえいやだった。
母と心から親子関係を結べたのは37才、父とは残念ながらその関係には至れないまま、会えなくなってしまった。
ということは、いい思い出が極端に少ないってこと。
二人と過ごした年月を100とすると、たぶん0.05%くらいなのね。
残りは、振り回され続けた日々と、尻拭い、かな。
でもね、私、彼らの間に生まれたことを心から感謝しているんだ。
それどころか、誇りにも思っているし、ある意味尊敬もしている。
お世辞にも人の手本になるような、誉められた生き方だったとは思えない。
でも、とことん「自分」を生きた人たちだった。それも、超ワガママに。
彼らのおかげで、私は、人生が甘くないこと、どっちかというとハード、
生き抜くには知恵と経験が要ることを学んだ。
私もたくさん傷を負った。
人の数と同じだけ存在する人生劇場、人の心の温かさ、冷たさ、
弱さ、強さ、美しさ、醜さを知ることができた。
人は、ものすごく不器用な生き物だと思う。
あの両親を一番傍で見てきたからこそ、そう思う。
普通の世間的な親の元に生まれたら、どうだったんだろう??
本当に破天荒、支離滅裂な親だったけれど
あの二人なくして、今の私は絶対にいない。
さて、最初の質問に戻ろう。
今、目の前に、あの父と、あの母が出現したらどうするだろう?
彼らに向かって走る。
嬉しくて、嬉しくて、二人を抱きしめて、
くしゃくしゃの笑顔で「だいすき」っていう。
・・・・・・テレちゃうけど。
うん。何気なくキーボードに向かってたら、こんな話になっちゃったんだけど、
きっとそうするだろうな。なんだか不思議。
こんなふうに思える日が来るとは思わなかったな。
あのね。
今さ、たとえばなにかにつまづいちゃって、なんもかもイヤダぁーっ!って気になっているとしてもね、明けない夜はない。ぜったいにないんだ。どんなに心がうつうつとし、人生の終わりのような悩みがあっても、必ず日は昇る。
知ったこというな!なんて、言わないでね。
本当に、それが真実だって知っているからいうよ。
必ず、夜は明けるし、日も昇る。
厚い雲の上に、太陽は輝いている。
ほんと、だよ!
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