If you wanna be somebody,
ウーピー・ゴールドバーグ主演’SISTER ACT2’の中にこんな題名の曲があったね。
wanna be somebodyというのはスラングで、「ひとかどの人になりたい」とか「有名人になりたい」という意味。
若いころの私、えー、えーと・・・いつだ?
たぶん、32才頃だったのではないかと思う。NYに住んで一年。
街と、英語で交わされる日常の会話にようやく慣れ始めた頃。
カフェで声をかけてきた隣の人に「それで、NYで君は何をするの?」と訊かれ
‘ I wanna be somebody!’ と口にしていた。
「う~ん、わかるけど、どんな種類の?」と訊かれても、ただ
‘ I wanna be somebody!’ と答える私だった。
今、考えたら赤面モノのとんでもない発言なんだけど、あの当時の私にとっては、それなりに悲痛な叫びだったんだよね。
ここに来たはいいけど、NYで何をしていくの?
それでどうだっていうのさ?
VISA(滞在許可証)は何に変えるの?取れるの?
英語もまだぜんぜんだし、中途半端!
家族はどうするつもり?(当時、最初の婚姻関係継続中)
私って誰?!何?!
そのどれにも明確な答えを出せず、なかば強迫的にwanna be somebodyと口走っていた。
32-3の小娘だもんね(笑)。仕方ないといったら仕方ない。
いまなら、あの頃の私に「あせらなくていいよ」。と言ってやれるんだけど。
答えや目標を見つけられない自分に、大きな不安を抱えていたんだろうな。
それなりだけど、よくやっていたよ、アタシ。ほめてやろう!
「ひとかどの人」を目指していたというか、「自分の道(と自分自身)を見つけた人」になりたかったんだよね。
自分が歩いてきた道を振り返ると、30代というのは迷いの季節なのだと思う。ある程度世の中の仕組みも知ったつもりになり、自分という人間も見えてきたような錯覚にも陥る。でもさ、まだまだお尻は青いんだよ。
私も真っ青だったと思うもの(笑)。
この期間には、とにかく自分に正直にやっていたらいいと思う。世の中への不満、欲、自分はいつも正しいという思い違いとか、他者を見ていない自分、自分は特別、知らず誰かを傷つけちゃう…etc.世界は自分中心っていうめためたイヤな自分の灰汁(あく)を出しまくるしかない。
これを越えて、はじめて自分と他人の違い、正解がないこととか、生きる意味なんてことを理解するための下地ができるのかもしれないな、と思う。
そうして、ようやく、何もできない(と思っていた)自分を、ポジティブに受け入れられるようになるっていうのかな。もしかしたら30代が一番辛い時期かもしれない。もちろん、実際には楽しんでいたし、最高の季節だよ。でも、振り返ってみたら「イタイ自分」が丸見えだから、そう感じるの。
今、30代真っ只中のみなさん、嫌な自分をとことん見ることをすすめる。
真っ只中の時には「イヤみな自分」には気がつかないから、恐れずにいけるよ。
そんな自分に必ず飽きるし、気づくから(笑)!
今の私はと言えば。
そうね、今は’I wanna be somebody’とはまったく思っていない。
由歌利は由歌利、the way I amだよ。うん。
● ● ● おしらせ ● ● ●
16-17日は出張なので、「由歌利流」更新はお休みです!
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