勘違いしたらあかんよ、の続き。
昨日の続き。
世間に理解されやすい、もしくは、ありがちな理由はたいてい『嘘』だと思う。
何に対する嘘かっていうと、我欲を隠すための嘘。
自分の言い分は正しい、と相手に思わせて囲い込むための手段でしかないんじゃないかと思う。
子どもや、愛する人を「手放したくない」「ずっとそばにいて」「自分だけのものであってほしい」という一方的な独占欲を隠すための、耳触りのいい言葉たち。「だめ」「まだ子どもなんだから」「危ないからやめなさい」「なにかあったらどうするの」etc…
これを正面から投げつけられると、どんな気分になるか考えたことある?
ひどくヘビーなんだ。子どもは言語化できないだろうから、抑圧とか圧迫なんていわないだろうけど。
自分の心は右に行きたいと言っているのに、よくわからない理由で「それはダメ」と禁止される。どうしてと尋ねても納得のいく回答は得られない。嘘で本音と現実を隠しているんだから、あたりまえだけど。
子どもは大人の、恋人同士は相手の嘘を、直感で見抜くんだね。子どもの場合は選択肢が少ないから、反抗するか我慢するかのどちらかを取る。昨今は、これに、ニューカテゴリーとしてウツと引きこもりが加わった。あたりまえといえばあたりまえ、かな。
結局のところ、自分の自信のなさの裏返し。よくいえば相手の示す忠誠心、はっきりいえば相手をコントロールすることで、自分の欠乏感や支配欲を満たすための、愛を隠れ蓑にした代替行為にほかならない。
こんなのいらない。
こんな嘘を「愛」と呼ぶなら、誰も愛なんて信じない。信じる要素がどこにもない。
愛している or 愛されている、という実感は、信じる気持ちが土台にあってこそ理解できるもの。そこに嘘なんかあったらダメだよね。
愛しているなら、信じようよ。
信じられた相手は、その事実に勇気を持ち、愛も育てる。
想像してみて。自分が信じられたとき、信頼されていると感じたときの喜びを。
自分が誰かを信じるとき、そこにある絶対的な愛を。
信じて、ダメだったらそれはそれでいいじゃん。
大事なのは、自分に嘘をつかないことだと思うから。
血縁だろうが赤の他人だろうが、まっすぐに気持ちを伝える。
そうしたら、半径10mくらいは平和になると思うんだけどな(^_^)ねっ。
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