#233 *SPICE OF LIFE* 「誰かのために…」
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こんにちは、由歌利です。
夕方の便で、今夜には那覇。
2月の出張を振り返ってみると、
初夏・真冬・豪雨・雪と、盛り沢山!
ま、生きてるって感じだけどw
今週も、どうぞよろしく。
☆・:+:。+・。
唐突だけど、走れメロス、覚えてる?
中学国語の教材だから、悪い話じゃない。
でもね、なんかしっくりこない。
どうにも昭和な話な気がしてならない。
個人的な感覚なのだけれど
誰かのために苦労や我慢をすることが
すばらしいことだと教える話な気がして。
昔々、たぶん…ハタチを過ぎた頃。
まだ元気だった祖母と、
同じく、バリバリの現役だった
我が母のワルサについて
話し合っていたときのこと。
その場を和やかにしようと、冗談を言った。
「おばあちゃん、私ね、
お金持ちで、うるさくなくて、
スグ死んじゃいそうな爺さんと結婚して、
母の面倒みていくから大丈夫だよ(笑)!」
少し間をおいて祖母が応えた。
「そうしてくれるか。お前には苦労ばかりかけて…」
と、そっと涙を拭いはじめ…
え?ええぇ~!と、愕然とするハタチの私。
冗談だともいえず、話を変えて、早々に退散w
祖母にとっては普通のことだったんだ。
時代の思考はすごいよね。
言うなれば「人身御供」、「人身売買」な話だよ。
昭和な当時に生きた私でさえ、納得のいかないこと。
でも「家族のため」という犠牲心は
明治生まれの祖母にとっては
あたりまえ、かつ、尊い選択だったのだ。
当時の世代・時代の常識や考え方は、
他世代を生きる人々にとって、
すばらしい教えがある反面、
とてつもなくクレイジーで、
時に滑稽でさえある。
こういう犠牲心は、
「我慢」の最悪の一面だと思う。
☆・:+:。+・。
「誰かのために」
生き方の選択肢として、何気に
他人にも理解できるじゃない?
最初はいいけど、
主語が、自分以外の誰かさんだと
いつか苦しくなっちゃうんだな。
でね、恩着せがましい痛いひとになる。
なんたって、時代背景も違うし
「我慢」する姿勢に筋金は入っていないから
すぐ倒れる。
「誰かのために」
を否定しているわけじゃない。
でも、主語は自分でしょ。
自分が決めた、好きでやっていること。
こう捉えているなら「我慢」になりようがない。
実らなくても、痛い思いをしても
自分が好きでやるなら悩まない。
たとえそれが「子供のために」であっても
主語が自分になっていなかったら
心のどこかに我慢が潜む。
「苦しさを理解してくれる」ことを
見返りとして求めもする。
そんな我慢ならやめたほうがいい。
ひとは自分以外の誰かのために
生まれてきたわけじゃない。
ひとは、自分を幸せにするために
生まれてきているんだ。
主語はいつも自分。絶対に自分。
私が好きなことだから、する。
ここに「湿り気」は存在しない。
でしょ?
☆・:+:。+・。
いいオトナは、
「私は私のためにある」ことを知っている。
自分を誰より喜ばせ、楽しませるために
生きていることを否定しない。
いいカッコしたりもしない。
誰かのためになんて偽善も言わない。
だって、嘘つくと疲れるもの。
オトナになりきれないひとには
できない芸当だろうけど。
☆・:+:。+・。
年齢じゃないんだ。
ココロのあり方。
いいオトナになろうね。
LOVE & HUG:-)**
◆次回配信は2/29(月)15時頃です。
閏年を実感できる日に。
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