#124 *SPICE OF LIFE*「とりあえずの箱」
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今日も真夏!!おはよう、由歌利です。
昨日までのSNS休暇、とてもいい試みだったよ。
自分のブランドの一部として使っているSNSでありながら
どこか逆にSNSに使われてしまっていることってない?
そんなときにぽこんと連続して離れると
人間らしい時間の流れが帰ってくるの。
時間。
流れるものであって、追われるものではないね。
暑いのは生きているって証拠、笑顔の夏を^^
☆・:+:。+・。
先週まで沖縄にいたのだけれど、持っていった仕事は
結局何も手を付けなかったんだ。
自分の内側が枯渇しているような気がしてとにかく休んだの。
中途半端になにかをやるより、とにかく今は休もうと。
家事の他には3冊の小説と、1冊のビジネス書を読んだだけ。
沖縄にいる夫も私にかまっている場合じゃないほど忙しかったおかげで、
ぼーっとすることができた。
なんかね、いろーんな気づきがあったんだ、うん。
☆・:+:。+・。
誰かに対して怒るとき。
怒っている理由は明確でしょ?
意味もなく誰かを怒るってないもんね。
自分の信じるルールからはみだした行為をされた、
ないがしろにされた、
おもいどおりにならない、
いやな対応をされた…云々
行く先は、正義感に燃えたファイト!正しさの主張、だね。
これ、相手が怒っているときも同じ。
相手もおなじようにココロが動く。
でも、今回はその先、一歩踏み込んだところに気がついたんだ。
(あ!夫や誰かととケンカしたわけじゃないよ:笑)
同じ国に生きているなら社会的規範はほぼ同じだよね。
とはいえ、ひとのココロの中にあるルールは千差万別。
地域によってゴミ出しの方法が違う、
カードゲームのローカルルールが存在する、
そんなことと同じように信じているもの、
正義、許せないこと、境界線、スキキライ…etc
細部はみんなみんな違うでしょ。
自分独自の正義をふりかざし、「正しさ」を強調しても
誰にも通じないとか、言い訳にしかならないことが多々あるんだね。
そこでですよ。
もう少し自分のココロ、一枚多く扉を開けて
深いところを考えてみて、わかったこと。
怒っているのは、「痛みを感じている」からなんだって。
自分がなにに傷ついたのか。
どの部分に、どんな理由で痛みを感じているのか。
そこをちゃんと見つめたほうがいいことに気がついたの。
誰かを怒らせたのなら、
相手のココロの中にある「痛み」を想像してみる。
自分のどんな言動がきっかけになったのか。
なるほどなぁ、と思った。
ブッダ、イエス、そしてマザーテレサのように達観し、
慈愛の瞳で自分にもひとにも対することができるのなら
いつも穏やかな心持でいられるだろうけれど
まだまだ我が先立つ未熟な身、
そういうわけにはいかないよね(^^;
たいしたことじゃないのに
どうしても反応してしまうことや、許せないこと。
誰にでもあるものだもの。
☆・:+:。+・。
ココロの中にある、普段閉ざしている扉の中には
見ないふりをして通り過ぎている感情が
ごっそり詰まっている箱があるんだ。
捨てられない、片づけきらないモノをしまうように
「とりあえず、このなかにしまっとけ!」って。
怒りに対するコトガラ、痛みの根源、
そういうものもきっとこの中に埋もれているよ。
取り出すこと、認めることは
「あちゃ~」「アイタタタタ」となるものがほとんどなんだけど
見つけて埃をはらって納得すると「なるほどね~」に変わっていくよ。
自分の反応も変わっていく。
怒っているときは楽しくないよね。
もしこの次、そんな機会がやってきたら
扉を開いてみて。
この夏のオススメ!
LOVE & HUG:-)**
こころばかり、視覚の避暑に ↑ ↑ ↑ ↑
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