#216 *SPICE OF LIFE*「正しいはイタイ」
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こんにちは、由歌利です。
月末のカヌチャリゾート、
二泊三日の鵜飼と歌舞伎の
伝統文化な旅を終え、
遅い夏休みが滞りなく終了。
たまに日常から離れるっていいね。
今朝もジョギングからスタートし
那覇での日常に戻りました。
今週もよろしくです。
☆・:+:。+・。
長い、長い間。
自信がなかった。
表だってそうは見えなかっただろうけれど、
でも、ずっとなかったんだよ。
自分がどうしようもなく小者に思え、
何かが足りないような、
それが何なのかも見えず。
一芸に秀でるわけでもなく、
子も生さず、一所に落ち着かず、
夢と呼ばれる類のものも抱かず、
どうしてもやり遂げたいものも持たず
親との縁も薄く、兄弟姉妹もおらず。
振りかえればはっきりと
生きてきたつもりであるけれど
先を見れば霧の中、一筋の光も見えず。
だから、その時々に目の前に来るものを
すくいとり、掌の中に収め育んできた。
見えないからこそ、
ただ、がむしゃらに。
「やりたいものってなに?」
「なにがしたいんだろう?」
「私になにが出来るんだろう?」
自分に何度問いかけても
答えは全くかえってこなかった。
もうね、最後は落ち込むことさえ
面倒になって、放り投げた。
自分の存在価値さえ分からなかった。
そんな私が見つけた答えは
ずいぶんと簡単なことだったよ。
☆・:+:。+・。
自分で自分がわからなくても
誰かと一緒にいたら
自分が見えてくる。
誰かの助けになりたいと思ったら
勝手に、頭と口と体がフルに動き出す。
いたって簡単。
誰かのために在る私は自由だった。
誰かのために在ることは、
自分のために在ることと同じこと。
そう気づいてからは
武装をする必要がなくなった。
世間の常識に照らし合わせる弱さを捨てた。
やらなければならないと思い込み、
やりたくないことを我慢してやる愚かしさ。
自分に嘘をついて生きることの傲慢さ。
もっともっとシンプルに考える。
「やりたい?やりたくない?」
グレーなら「やらない」を選ぶ。
「いや」なことは「いや」という。
本当にやりたいことは、
すぐに身体が動くから。
直感で、一緒に在りたいひとと時間を過ごし
笑顔の元を作ること。
1+1が2で終わらずに
何乗にもなって、形を変えていく。
☆・:+:。+・。
私ね、ずっと「正しいひと」に
なろうとしていたんだよ、昔ね。
「強いね」ともよくいわれた。
けど、あれは強かったわけじゃない。
ごりごりに肩ひじ張って
自分をも騙して生きていたんだな。
蔑まれることも
ひとりになることも怖かった。
イタイね。
その頃の私を知っている人たちは
いまの私を見て驚く。
「アナタ ダレ デスカ?」状態だねw
昔の写真には、
そんな私がたくさん写っている。
だから、自信がなかったんだ。
なーんにも見えなくて当然だね。
でも、必要なことなんだ。
それがあるから、今の私がある。
ひとは、まっすぐにはいかないよ。
曲がって
寄り道して
迷っていい。
後から振り返れば、一本道。
すべていまの自分に通ずるもの。
☆・:+:。+・。
いまの私に自信があるかってきかれたら
相変わらず、わからないな。
ただね、怖いものがなくなってきたの。
先を考えて、無いものを憂いて
思い悩むだけ損。
「どうとでもなる、
だから、やりたいことをやる」
そんな気持ちがいつもこころにある。
思い通りにいかないのだとしたら
それは恐れを抱いているからだよ。
こわがらずに、ただ、
こころを開いていさえすれば、
ほしいものはちゃんと手に入る。
誰かを愛し、愛されることは
自分を認め、愛すること。
他人とともに在る、
誰かと生きるってことは、
自分の弱さと恐れを手放し、
自分を愛するっていうこと…
なんじゃないかな。
LOVE & HUG:-)**
◆次回配信は10/12(月)☆11時頃です。
那覇にも秋の兆しあり。
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