未来の姿を決める
世の中の「マナー研修」や「これだけ(知っていればOK)本」は、HOW TOばかりが語られているけれど、なぜそれら礼儀、作法、心得を学ばなければならないのかが解説されていない気がする。
挨拶がきちんと出来ない。
目を見て話が出来ない。
シャツのカフスボタンを閉めずに背広を着る。
ケバい化粧で営業に行く。
・・・なんていうのはマナー研修では「ダメ」って言われるよね。
なんでだと思う?
「失礼だから」
残念。間違いじゃないけど、ハズレ。
かっこ悪いから、だよ。
誰だって、かっこ悪いよりカッコいいほうがいいでしょ。
みっともないと眉をしかめられるより、「いい感じだね」「すてき」と思われるほうを選ばない?
マナーとか礼儀作法というから堅苦しくて、お勉強感覚になる。
そうじゃなくて、美しくありたいかどうか、カッコいいと言われたいかどうか、なんだ。
どうやったらカッコよくなれるか?
「こころ」の部分をすっ飛ばしてHOW TOで知ろうとしても無理。気持ち(そうする理由)が伴なわなかったら、いっくらマナー本を覚えても無駄。上っ面の作法は相手に見透かされちゃう。きれいな所作をしていても自動運転と一緒だものね。
「うつくしくありたい」かどうか。
「相手への思いやりを持っている」人になりたいかどうか。
すべてはそこから。
マナーは、自分自身がどうありたいかという「自身の美学」なんだ。
その思いがなければ、型も決まらないし、洗練もされない。
でも、その思いがあるのなら、相手に心地よさを与える礼儀なんて習わなくても身につくものなんじゃないかとさえ思う。マナー本や研修は、方向修正、知識のためのツールでしかない。
安直に本を買ったりお習いごとをする前に、まずは心に決める。
自分がどうなりたいか。どんな未来の姿になっていたいのか。
自分の未来は自分で決める!だね。
● ● ● おしらせ ● ● ●
明日明後日は出張なので、「由歌利流」更新はお休み!
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