誠実であること:その3
「友には誠実であれ」
自分でタイトルを考えているはずなのに、お題が深くて困る。
本題に入る前に、まずは「友」を定義してみよう。
先週の金曜日は、JOYWOW TALK LIVE 第五回目の収録日だった。いつものように、お題は本番まで知らされず、くじ引きによって引いたものをぶっつけ本番で話すことになっている。
今回、私が引いたのは「ともだちについて」。
最近、真剣に「ともだち」という単語について考えたことがなかったので、TALK LIVE冒頭では、記憶の中から引っ張り出した「ともだちの定義」について話した。
でもねぇ、話しながら、自分でしっくりこなかったんだよ。
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それもそのはず、この定義はNY時代にいきついた考え。今となっては、まったくちがうはずなのに、それを言語化できていなかったので、苦しまぎれに言っちゃった感じ。
収録中もみんなの意見を聞きながら考えていたし、体感として「なにか」があるのだけれど、その言葉をとらえることはできず、もやもやしたままだった。
それがね。
土曜日の朝、起き抜けにぼーっとしていたら、突然、それが言葉として理解できたんだ。たまにこういうことがあるけれど、いつも驚くの。起き抜けだもんね。
「自分のモノサシ(常識)で、相手を変えようとしない人」
これが、言語化された「ともだち」の定義。
家族やパートナーであれば、時と場合によって「こうすべき」などの意見もするし、されることもあるだろう。踏み込んだ意見をしても壊れない関係だからね。
でも、「ともだち」はそうじゃない。踏み込みすぎれば壊れる。
ありのままを受け入れ、大切だからこその気遣いを忘れずに、つきあっていく存在なんだと思う。
腹八分目のつきあいが上手に機能する相手、ともいえるかな。それはけして、いいかげん・適当、当たらず触らず、ということではなく「その人がその人であること=その人の存在自体をリスペクトしてつきあう」ことのできる相手。
ともだちが自分と違う思考、好み、考え、行動をし、違う常識を持っていてもまったくかまわない。なにかに惹かれるから、つきあっているんだものね。
例えば、時間にけして遅れない人(A)のともだちが、常に遅刻する人(B)であったとしよう。Aさんは、Bさんに「遅刻するのはよくない。時間を守るべき」と意見するべきだと思う?
私がAさんだったら、Bさんに意見しないな。そのかわり、早めの待ち合わせ時間を設定したり、自分が遅めに行ったりして、Bさんとお互いに快適につきあう道をみつける。
「Bさんが時間を守るべき」と思うのは、Aさんの都合であって、Bさんのためではないんだ。Bさんが今のあり方に問題を見つけたら、きっと自分で気づいて変わっていくはずだから。
長くつきあってきた、周囲のともだちをひとりひとり思い浮かべると、これがしっくりと納得できる。すとん、と、腑に落ちた。
「友には誠実であれ」
私にとって、友に誠実であるということは、相手の存在・思考・生き方を否定せず、お互いに、ありのままを受け入れ、大事につきあっていくということ。
あなたにとってのともだちは、どんな存在だろう?
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