自分に問いかける
「※牽強付会※していないか?」
※けんきょうふかい※:自分の都合のいいように強引に理屈をこじつけること
私が何かを決める時、自分を振り返りいつも考えること。
二年ほど前に、ほうじ茶飲話でも書いたことがある。
由歌利流を語るうえで、はずすわけにはいかない大事な考え方なので、
改めて書き直すことにした。
私は、自分に嘘をつくことが嫌いだ。
嫌いっていうより、苦しくて仕方がなくなる。
昔、自分の心に嘘をついていたことがあるからこそ、そう思う。
目の前にある問題を解けないのに、どうにか前に進むしかないと思い、
そこから逃げ、自分に言い訳しながらやり過ごしていた日々。
自分への嘘を守るために、周囲にも嘘をつく。
まさに、自分の都合による現実のすり替え、理屈のこじつけだよね。
牽強付会。
これは他人に対してというより、自分に対しての物差しなんだと思っている。
JOYWOWメンバー七つの条件の中にも「嘘をつかないこと」という項目がある。
自分に正直であること、と言い直してもいい。
誰につく嘘より、自分に対しての嘘が罪深いんじゃないかな。
自分を大事にしていない証拠だもの。
自分を正当化する。
何も見えない、聞こえないふりをする。
心に蓋をする。
誰が見ていなくてもお天道様は見ている。すべて知っている。
本当のところ、自分の嘘や恥を心底知っているのは自分自身でしょ。
人間は弱い生き物だから、つい自分には甘くなってしまうよね。
でも、どれほど弱い生き物であっても、自分の恥を見ないふりしていることだけはしたくない。恥は恥として認めて歩いていったらいいじゃん。
・・・また難しいことを・・・とか、それが出来たら苦労はない、とかいわないでね。
誰だって、ほんとは自分に嘘なんかつきたくないはずだもの。
素直に、ストレートに生きようよ。
幸いにも、ここは日本。
戦時中だったり、共産圏、第三世界に生きているわけじゃない。
本音でいいんだよ。
なぜできないのか?といえば、「本音を言ったら嫌われるかも」とか「ここは相手が望む答えを出さなきゃ」とか、自分ではない誰かを物差しにしているからだよね。悲しいかな、うまくたちまわろうとか、守りにはいると、ついそうなりがち。
でもさ、そんなの楽しくない。
自分がやったこと、決めたことなら、堂々といこう。
マジョリティーより、マイノリティー。100人中のひとりになっていいんだよ。
正しい答えより素直な意見を語れる自分でいるために、
嘘をつかずに生きるために、
私はいつもここに立ち返り、自分に問いかける。
「その考え、牽強付会してないか?」って。
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